幸野溝

幸野溝は球磨川より取水し、湯前町、多良木町、あさぎり町を受益地とする延長15.4㎞のかんがい用水路です。
 
幸野溝の歴史は古く江戸時代まで遡ります。
1696年、新田開発に力を注いでいた相良藩は、藩士の高橋政重に、水を引き田んぼにできる土地がないか調査を命じます。
政重は現在の湯前町・多良木町・あさぎり町岡原一帯に広大な荒野があることを報告、藩から用水路の工事を任命されます。
工事は、球磨川をせき止め水を取り入れる「堰」の建設、水路の掘削、荒地の開田などの3つ。
 
水路の掘削工事はわずか1、2年で完成したものの、堰の建設は難航。
ようやく完成を迎えようとした矢先、大洪水に見舞われます。
そして復旧工事終了後、またしても大洪水に襲われ堰は流失。
工事の完成を待ち望む農民たちにも大きな衝撃を与えました。
 
再起を懸け工事再開を望む政重でしたが、藩は難色を示します。
そこで彼は、村々を歩いて水利施設の必要性を訴え、資金集めに奔走したのでした。
やがて、その努力が報われ工事は再開。全ての工事が完成したのは1705年、着手からはすでに10年の時を経ていました。

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